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絶対音感(1)

前回のブログで「絶対音感」(すなわち、ある高さの音を聴いて、その正確な高さが分かる能力)の話が出てきたので、これに関連して今まで他人に明かしたことのない私の悩みを書くことにする。絶対音感がなくて困っているというような悩みではない。もちろんバイオリンやチェロを弾いていて、ハイポジションが続く場面でいつの間にかピッチが狂ってきており、開放弦を鳴らす場面でやっとそれに気付いたりするときは、絶対音感があればきっと楽器の演奏に便利に違いないと思うことは多い。しかし私には音楽の享受に絶対音感はほとんど不要という信念があり、一方楽器演奏の方はいずれにせよヘボの域を出ないことは確実なので、いままで絶対音感がないことを深刻に嘆いたことは一度もなかった。

 

ところが最近、私にも一種の「絶対音感まがい」があることが分かって、非常に困っている。それに気が付いたのは10年余り前、多忙な米国駐在から帰国して少し落ち着いた頃である。楽器演奏や作編曲をやる方であればご理解いただけると思うが、私には音楽を聴きながら、そのメロディを頭の中で「固定ド唱法」で歌う癖がある。この用語に馴染みのない方のために説明を加えると、「固定ド」とは音名の代わりにハ長調の階名を使って、あらゆる調のメロディを歌うやりかたである。例えばニ長調の「ド-レ-ミ-ファ-ソ-ラ-シ-ド」を「レ-ミ-ファ♯-ソ-ラ-シ-ド♯-レ」と歌うようなものだ。

 

あるときメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を聴いていて、ふと頭の中でこの曲を嬰ヘ短調で歌っているのに気付いた。この曲はホ短調なので、実音より全音高いことになる。初めは特殊な編曲か、あるいはオーディオ装置の調子が狂っていて(私はオーディオにさっぱり関心がないので、それぐらいの事態は考えられなくはない)、全音高く聞こえているのかと思ったが、ほかの曲もあらためて聴くとすべて全音高く聞いており、かつ使っている装置には関係なく常にそうであることが分かった。知っている曲であれば本来の調に戻そうと頭の中で格闘するのだが、これが意外に簡単ではない。ゲシュタルト心理学の教科書によく出てくる両義図形(ルービンの壺とかアヒルウサギとか)のようなもので、一旦はまると意識してもなかなか頭の切り替えができないものである。何とか戻しても、そのうち転調が重なって複雑なパッセージになると、知らず知らずまた全音高く歌っている自分に気が付く有様だ。

 

なぜそうなったのかが謎である。全音狂った鍵盤楽器に慣れた結果、というような事情が考えられるが、若いころこういう症状で困った記憶はないし、少なくともここ20年ぐらいは常時使っている鍵盤楽器は電子ピアノなので、さすがに全音狂うということは考えにくい(今使っているものももちろん普通のピッチで鳴っている)。耳の老化、あるいは脳の聴覚の処理機能の老化で聞こえる音がだんだん高く認識されるようになってきているということも、どちらかが急に変化しない限り無理があると思われる。いずれにせよ、あらゆる音が違う音に聞こえるというのは明らかに病理的な症状で、直せるものなら直したいと思って楽譜を読みながら音楽を繰り返し聴いたりするのだが、そういう時にはなぜか全く違和感なく聞くことができるので、どうも改善にはつながっていない模様だ。このブログをご覧になった方でこの症状の発生原因や治療法をご存じであれば、お教えいただければ誠にありがたい。珍しい症例だと思うので、大学や病院から研究材料にしたいという話があれば、喜んで人体実験にも応じる所存だ(笑)。

 

ところで、今まで私は、音楽を聴きながらその音名を頭の中で歌えるのはその曲の調を知っているからであり、自分に絶対音感はないと考えていた。事実、早期教育の音楽塾で、子供たちに単音を聴かせてその音名を当てさせるような授業方法を見ていると、こういう方法に意味があるのかという疑問とともに、自分にはとてもできないと感じたものだ。しかし、自分が調を知っている曲の音を、その調より常に全音高い音として認識しているということになると、これは自分にも絶対音高を認識する機能(念のため言うが、「才能」ではなく「病気」として)が備わっているということを意味しているような気がする。

 

以前に話題にした、ダニエル・レヴィティン著「音楽好きな脳」の記述によると、どんな人間も一種の絶対音感を持っているということである。前回書いたように、この研究はいろいろな人にHappy birthday to youなどよく知っている歌を歌わせて、それがいつもほぼ同じ高さで開始されるということから発見されたということである。私は音を取るときに、自分が出せる一番低い声とか一番高い声とかで水準を確認することがあるが、この実験においてはそれが喉の緊張のような肉体的条件で発現するのでないことをチェックしているとのことなので、純粋に聴覚上の条件からも絶対音感の存在が証明できるということらしい。

 

こういった絶対音感の存在をどのように考えるべきか? 絶対音感は人間が本来持っている自然な能力なのか? 以下絶対音感と相対音感の関係について若干の分析を行いたいが、かなり長くなるので次回にさせていただくことにする。

 

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コメント: 3
  • #1

    藤田伊織 (日曜日, 14 2月 2021 16:14)

    ホトトギスは「ほーほけきょ」と鳴きますが、これは持って生まれた音高によって鳴くようです。人間の絶対音感といっても、西洋音楽の演奏でいえば、ピアノが普及した以降の高々3世紀ぐらいの歴史しかなくて、ただの技術です。でも、それ以前の音にはそれぞれ歴史があります。聖堂で歌われた聖歌や、お寺で唱えられた声明など、しかるべき音高が維持されてきました。
    西洋音楽でも今から30年ほど前から古楽(ピリオド)演奏が盛んになり、音高でいえば、バッハのロ短調みさも変ロ短調ミサになっています。ゴールドベルク変奏曲も「半音下げて」チェンバロで聴く方がいい感じです。
    それに、音の微妙に変わる変化は、あまり確実には感じられないというか、別にいいではないかという風に、思えます。
    http://wisteriafield.jp/wtc1/index.html#wtcuncertain
    このページのまとめのあたりに、平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番の前奏曲の特別版がありますので、お聴きいただければ幸甚です。

  • #2

    有山晃一 (日曜日, 14 2月 2021 18:44)

    コメントありがとうございます。恥ずかしながら、ブログ開設以来記念すべき初のコメントで、こんな親父の独り言のような長ったらしい文章にお付き合いいただける方を見出したのは、本当にありがたく思っております
    いろいろ思うこともあり、早速ご返事すべきところですが、昨日から体調を崩しており、またリンク等拝見した上でお送りしたいと思いますので、少々お時間をいただきますようお願いします。

  • #3

    有山晃一 (水曜日, 17 2月 2021 23:28)

    ページ拝見いたしました。「特別版」は(中身をネタバレするといけませんが)「C⇒D」というヤツでしすね? 当然のごとく全く気が付きませんでした。「絶対音感のある」人というのは、こういうモノでも気が付くのでしょうか。実はこのブログ記事を書いて、さて後編をアップしようという段階で目に留まった本がこの問題に鋭く切り込んでいて、大いに力づけられましたので、後編の前にまたブログで書かせていただきます。結論から言うと、こういう「C⇒D」のような操作が分かる人には、音楽の理解に困難が生じる可能性があるというもので、音感教育なるものの正体を暴いていて迫力があります。次回のブログに続編を書きますので、そちらをご覧いただければ幸いです。

    それから、「平均律」クラヴィーアの件ですが、ご見解を誤解しているかもしれませんが、この曲に真にふさわしい音律は識者の言うようなヴェルクマイスターではなくて真正の平均律であるということでしょうか? だとすればこれは私の考えている結論と全く同じです。平均律というものの正体については別にブログを立てるつもりですが、音律の本がすべてピタゴラスから始まっていること自体、きわめて問題が大きいと言わざるをえません。っ子の件について言いたいことは山ほどあるのですが、またブログを見ていただき、ごっ批判ご意見をいただければ幸いです。引続きよろしくお願いいたします。