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ドビュッシー「海」

前回、自分でもきちんと理解できていない難しい話題で時間をかけたので、今回はあまり深く考える必要のない軽いネタを一つ上げたい。但し、テーマはドビュッシーの「海」に影響を与えた文学と楽曲の形式に関するもので、ドビュッシーに興味のない方、あまり楽譜を開くことのない方にはやや縁遠いテーマになるので、あらかじめお断りしておきたい。

 

昨年読んでもうだいぶ時間が経つのだが「音楽学への招待」(沼野雄司著 春秋社)が大変面白く印象に残った。しかし私が特に付け加えるような事項もなく、また私の興味の中心である「音楽の認知からの音楽史再構築」というテーマとは若干ずれもあるので、特に読後感をブログに上げることもなかったのだが、その第3章が「音楽のエクフラシス」という項目になっている。「エクフラシス」というのは「ジャンルの枠を超えた影響、関係」といった修辞学用語で、主として文学と美術の関係について使用されてきたが、ここでは文学と音楽の関係がテーマとなっている。そこで取り上げられているのがドビュッシーの「海」と、それが生まれる契機になったとされる文学の関係である。

 

ご承知の通り、ドビュッシーの「海」は北斎の富岳三十六景「神奈川沖浪裏」にインスパイアされた作品と言われているが、大抵の楽曲解説にあるように、この曲の第1楽章は当初フランスの詩人カミーユ・モクレールの小説「サンギネール諸島付近の美しい海」がベースになっていたことが知られている。正直、私もこの小説については名前しか知らなかったのだが、本書によってはじめてその内容を知ることができた。

 

本書をまだお読みでない方には内容のネタバレになって恐縮だが(ご興味のある方は是非原典をお読みください)、以下話の都合上、小説の内容をご紹介する。まず、この小説の内容だが、これは主人公一行がサンギネール諸島(コルシカに同名の島があるが、それを指しているかどうかは明確でない)の三つの島を船で巡り、それぞれの島の状況を語るというものである。まず、第一の島(オレンジ色の「知識の島」―「熱の島」)は住民が若々しく活気に溢れ、夢と希望を感じさせるような「青春の島」として描写される。続いて第二の島(紫色の「疑いの島」-「頭痛の島」)は、住民が日々の生活にいそしんでいるものの、現状を打破するような活力はなく憂愁に沈む「壮年の島」である。主人公が最後に訪れる第三の島(黄土色の「確信・嫌悪の島」-「皺の島」)は、住民がすべて希望と活力を失って、無気力に沈滞している「老年の島」である。そうして主人公は最後の場面で、自分が最終的にこの第三の島から脱出することができないことを悟るというバッドエンドになっている。つまり、この話は人間の一生を旅に喩えて、逃れられない人生の行く末を描写したものである。(本書に著者によるこの小説の全訳が載っているが、私としてはまさかこんな話であろうとは夢にも思わなかった。)

 

著者によれば、この小説と楽曲の関係は、音楽学者たちの見解では最初に作曲者が何らかのインスピレーションを受けて作曲を始めたものの、最終的な作品との関係は不明であるということになっているようだ。特に、作曲者は最終段階でこの第1楽章から小説関連のタイトルを撤去し、その代わりに今知られている「海の夜明けから真昼まで」という標題を付けたので、最終的にはこの小説との関係はなくなったものと見ることが適切かもしれない。

 

しかし著者は、この第1楽章が当該小説をベースにした「エクフラシス」であるという考え方を再度検討することを提案する。まず、著者はこの曲の構成をジャン・バラケの分析に従って下記の各部分に分割する。(楽譜をお持ちの方は是非原曲にあたっていただきたい。但し、本書の小節数は1909年の改訂版に拠っており、ここで作者は初版本の84小節と85小節を合体させている。私が子供の頃買った全音の楽譜は1905年の初版本に拠っているので、84小節以降は1小節ずれることになる。手元にある楽譜がそれなので、この先本書の記述に関わらず初版本の小節数、および練習番号で話を進めたい。)

 

「導入部」冒頭~30小節

「主要部Ⅰ」31小節~84小節(本書では~85小節)[練習番号2の9小節目以降]

「主要部Ⅱ」85小節~122小節(本書では84小節~121小節)[練習番号9の2小節前から]

「結尾部」123小節~楽曲終わりまで(本書では122小節~)[練習番号13の4小節目から]

 

さて、著者の考える小説と楽曲の関係は、この小説の内容が上記「主要部Ⅰ」の構造と並行しているというものである。まず著者はこの「主要部Ⅰ」に出てくるホルン4本によるオクターブで演奏されるテーマ(35小節以下[練習番号3])に注目する。このテーマは非常に明確でこの部分を通じて同じ調で3回繰り返され、著者はこれが3つの島を巡る「船」を暗示するテーマであると考える。

 

そこから著者は、「主要部Ⅰ」をこのテーマの出現に合わせて3部分に区切る。すなわち

① 31小節~52小節

② 53小節~67小節[練習番号5から]

③ 68小節~83小節[練習番号8の4小節前から]

このそれぞれの区切りが問題の小説に出てくる各島の状況を反映したものであるというのが、著者のアイデアである。すなわち①においては、音楽はフルートの上行音型などが前向きの姿勢を表し、②においてはオーボエの悲しげな旋律が気力の減退を表す。そうして③においては、第三の島から逃れられないという切迫感が音楽に現れている、というのである。

 

まあ、こういうモノに正解はないと思われる上、ドビュッシー本人が最終段階でこの小説との関連性を削除しているので、想像を逞しくするのにも限界があるのだが、実は私にもこの小説の内容を音楽に結びつける別のアイデアがあり、それを以下ご披露したい。(あまり本気にされても困るので、話半分に聞いていただきたい。)

 

著者も本書の中で認めているのだが、まず著者の上記説明の最大の疑問は、「主要部Ⅱ」が本曲の中でかなりの部分を占めているにもかかわらず、この小説の内容から除外されていることである。この曲の構想がいやしくも小説のエクフラシスとしてスタートしたのであれば、こういう作り方はいささか異例であると思われる。

もう一つの疑問は、上記③「老年の島」が無気力に堕しているという小説の描写があるにもかかわらず、その部分の音楽が非常に切迫したものとなっていることである。著者はこれを、第三の島から逃れられない心理的圧迫を表すと考えているようであるが、この部分に「無気力さ」が感じられないのは私にとっては非常に違和感がある。

 

それで、以下私のアイデアをご紹介するが、私はこの「三つの島」を表しているのは「主要部Ⅰ」ではなく「主要部Ⅱ」の方ではないかと考える。そもそもサンギネール諸島がどこにあるかは知らないが、少なくともフランスの本土から船に乗って行くのであれば、サンギネール諸島に着くまでの行程があるはずだ。私はそれが「主要部Ⅰ」の描写する内容であると考える。

 

まず音楽は海上の夜明けを描写する「導入部」に始まる。ホルン4本による「船」のテーマが(あちこちに寄港しながら?)徐々にサンギネール諸島に近づいていく。これが「主要部Ⅰ」の内容である。特に上記③の部分では音楽に切迫感が増し、目的地であるサンギネール諸島に本格的に接近するのを感じさせる。そうして、そのクライマックス(76小節)[練習番号8の5小節目]で、堂々とスフォルツァンドで奏される空虚五度の三つの和音が出現する。私はこの三つの和音こそ、サンギネール諸島の三つの島を示すものではないかと考えている。

※ついでながら、この三つの和音は「主要部Ⅰ」の冒頭にフルートとクラリネットで奏される「波のモチーフ」(33小節~34小節)に由来していて、この旅程が最初から三つの島を目標とするものであったことを暗示している。

 

続いて、弦楽器とティンパニの予感と不安に満ちたトレモロに先導され、「主要部Ⅱ」のメインテーマが4パートのチェロによって力強く呈示される。このテーマこそ、まさしく「青春の島」を表す以外の何物でもないと私には思われる。この「青春の島」の描写は85小節~109小節まで続き、特に106小節[練習番号11]からはホルンによって高らかに奏される。

 

ところが、110小節「練習番号12の3小節前」に至って、音型は全く変わらないながらも音楽の色彩は突然変化する。音強はピアノになり「徐々にゆっくりと」という表示が現れる。113小節「練習番号12」からは「さらにゆっくり」という指示のもとにコーラングレが悲しげな旋律を演奏する。これはすでに導入部でも出てきた循環主題の一つで、フィナーレでは大々的に展開されるのだが、ここではひたすら「憂鬱」な雰囲気を醸し出しているように思われる。「青春の島」からの区切りが明確でないところがこの説の弱点ではあるが、私はこの色調の変化が人生に疲れた「壮年の島」を示しているように思われる。

 

そうして音楽が力を失っていき、著者の分割では「結尾部」とされる123小節以降に入る。ここではコーラングレが脱力したような主題を奏するのだが、私はこの部分(123小節~132小節)はまだ結尾ではなく、これこそがまさに住民が完全に気力を喪失した「老年の島」を表しているのではないかと考えている。

 

最後に133小節[練習番号14]以降が全曲を締めくくる結尾となる。私はこの曲の終わり方が「真昼」を表すということに昔から大きな違和感を持っていて、なぜかこの結尾が壮大な「日没」を表すような気がしてならない(と言ってもドビュッシー自身が「真昼」だと言っているのだからそれを前提にするしかないのだが…)。曲の一番最後を私がサンギネール島を表すと考える三つの和音でしめくくり、かつトランペットとトロンボーンのディミヌエンドで余韻を残しながらの結末は、「真昼」があらわすようなハッピーエンドよりこの小説の悲劇的な「バッドエンド」にふさわしいような気がする。私には、夕日に照らされ島名のとおり「血のように真っ赤に染まった」三つの島がそそり立ち、しかしそれも一瞬のことですべては闇の中に沈んでいく姿が頭に浮かぶのだが、皆様はいかがお考えになるだろうか?まあ、すべては私の妄想と言われれば返す言葉もないのだが、せっかく頭に浮かんだアイデアなので、このまま頭に秘めておくのももったいないと思いブログにアップした次第である。

 

いずれにせよ、音楽というものは掘り下げれば掘り下げるほどいろいろな解釈が見えてきて、それが正しい云々の問題はさておき汲めども尽きぬ興味のネタを与えてくれるものである。この本にはほかにも音楽学のいろいろな項目が紹介されていて、いずれもプロの知見に支えられていて語り口も面白く、なるほど本というものはこういう風に書かなければ人に読ませることはできないと反省するところ大である。この著者にはほかに「ファンダメンタルな楽曲分析入門」という本もあって、これも既往の「音楽形式論」的な本と違って、現代音楽までにつながる新しい形式分析の方法を示していて興味深いので、是非読んでみてください。

 

 

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