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音楽の力

当ブログも本日で発足1周年になる。折に触れて読んでいただいた方々には改めて深く御礼申し上げたい。

 

とは言うものの実のところ、さる事情から昨年10月以来更新がストップしており、いつになったら通常ベースに復帰できるかというめども立たない状況である。手持ちのブログネタは山ほどあり、時間も最近少しは取れるようになってきたのだが、意識がそちらに向かないのでさっぱり筆が進まないというのが実情だ。私としては、ブログというものは小学生の日記ではないのだから何か「内容のあること」を書かなければという意識が強く、それが災いしている部分も多々あることは間違いない。

 

こういうブログを書くのも、音楽を作ったり演奏したりするのも、人間が行う文化活動(その程度で「文化」はおこがましいというご批判は甘んじて受ける)の一種なのだが、私が常々お伝えしている通り、それは人間が生存のため(のみ)に行う活動(私の用語で言うと「生存活動」)以外の活動(私の用語で言うと「余暇活動」)である。生存活動と余暇活動の境目はあくまでも「本人の意識」であって、いわゆる文化活動とみなされているものでも芸能やスポーツなどのプロが行う場合は生存活動であり、グルメとか性風俗のように本来生存活動であったものが事実上文化活動となっているものもある。(そのため、特に「余暇活動」という色の付かない表現を使用している。)

 

もちろん生存活動が余暇活動に優先することは言うまでもなく、生存活動に意識が集中している間は余暇活動に対する意識は通常喚起されない。しかしながら一方で余暇活動の存在が生存に大きく寄与していることは疑いなく、拙著にも記載した通りそれは「意識の方向を分散して精神の負担を軽減する」ということに他ならない(それゆえに余暇活動というモノが進化の結果として存在すると言える)。音楽の「癒し効果」とか「BGM」とかいうのはまさにそういうものである。正直、いま音楽の「受け手」としてこういう癒しの絶大な威力を体感しているところではあるのだが、その一方で「出し手」として音楽を作ったり演奏したり、音楽について考えたりする余裕が全くないのは、生存上の問題に頭を占領されていることに他ならない。

 

ということは、音楽の余暇活動としての力は精神的な余裕において発揮されるということだ。それを人間だけ(?)が利用できるのは、人間の場合「時間性」に対する精神構造が存在するからである。我々は「計画」「予定」「予測」というような作業によって生存活動を準備し、意識が生存活動から離れても差し支えないようにすることができる。まさに「一年の計は元旦にあり」なのだが、それはプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある。人間は「予測」に基づき「予定」を立てるが、そこには不確定性が潜在し、往々にして意識に「不安」が存在する。それは動物の世界のように、いつ何が起こるか分からないという全くの偶然性に委ねられた不安ではないのだが、それでも予定したことが実現するまでの間大なり小なりの不確定性があることは間違いない。他方、人間には実現してしまって修正しようのない失敗や不運を「後悔する」という意識がある。これも逆方向の「時間性」の一つの現れであると言うことができる。このような未来に対する「不安」、過去に対する「後悔」は、意識上に存在することが必ずしも有益ではないケースもある。そういうときに発現するのが「余暇活動」である。つまり、人間はベストを尽くして準備しても生じる不安や、今更どうにもならないことに対する後悔など、生存活動が無意味であるような場面で「精神活動の方向を多様化する」ために存在する、というのが私の考え方である。

 

※音楽が集中する対象としての音であるということはこのブログで何度も書いているのだが、その集中はこのように「通常集中されるモノからの意識転換」である。音楽の起源についてさまざまな説が行われるが、あらゆる起源は結局この作用を利用しているように思われる。

 

だからこそ、逆に「生存活動のために何かできないか」と自問しているような場面では、余暇活動を積極的に行うような必然性は低いと言うことができる。私の例で言うと音楽の「出し手」になるような積極的な活動が発現する可能性は低いのだ。しかしもちろんそのような状況でも、「受け手」として「聞こえてくる」音楽(雨音や波の音など、受け手にとっての「広義の音楽」を含め)に癒されることは当然あって、これこそ「音楽の力」を実感できる瞬間ということができる。人間の意識は何かに集中しているような場合であっても、必ず一定の「ゆらぎ」を含んでおり、そのような「精神の隙間」に音楽は忍び込み、精神の疲労を癒すのだと言うことができる。

 

どうも正月早々、何の話かも明確にしないうえに明るく楽しいとは言えない話題で恐縮だが、いつか状況が許せば必ずまたブログの定期掲載を再開したいと思っているので、それまでお見捨てなきようお願いします。